伏見の名水「伏水」
酒どころを支える「伏水」
その「伏水」に映り込む「空」
RICOH
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S 1/36 F 8
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酒どころを支える「伏水」
その「伏水」に映り込む「空」
RICOH
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以下、月桂冠HPより引用
http://www.gekkeikan.co.jp/enjoy/water/water01.html
「伏水」と呼ばれた伏見
「伏見」の地名は、「俯見」「臥見」「伏水」などと書かれてきた。『日本書紀』には「俯見村」、『万葉集』には「巨椋(おほくら)の入江響(とよ)むなり 射目人(いめびと)の伏見が田井に雁渡るらし」(万葉集巻九、柿本人麻呂)とある。『枕草子』では「伏見の里」、新古今和歌集では歌枕に「呉竹(くれたけ)の伏見」が取り上げられている。
江戸時代になると「伏水」も用いられるようになり、明治と元号が改まる1868年(慶応4年)には「伏水役所」(翌年、伏水京都府出張庁と改称)と公的にも使われている。水に関わるこの地名は、「巨椋池(おぐらいけ)に枕する地形」(『伏見町誌』1929年)や、伏見の港を表す「伏見津(ふしみつ)」(『伏見鑑』1779年)から転じたともいわれ、古くから水が豊かだったことを示す。「伏見」に統一されたのは1879年(明治12年)である。
桃山丘陵から見渡す眺めのすばらしさ、つまり俯瞰を意味する「伏見」と、水の豊かさを象徴する「伏水」。恵まれた自然のもと、伏見では28社(2007年2月現在)が酒造組合に加盟し、酒造りに勤しんでいる。
都の位置を変えた水
京都盆地の北に、794年(延暦13年)造営された平安京は、当初は真四角形の都だったが、次第に右京(都の西半分)がなくなってしまった。井戸を掘っても水の出ない右京にはいられなくなり、当時、人々は水を求めて東や北へ移り住み、都は南北に細長い形に変わった。平安遷都から800年後の1591年(天正19年)、豊臣秀吉が都を守護するため22.5キロにわたり築いた「お土居」(おどい)と呼ぶ城壁(堀と土塁)の位置を見ると、当時の街は都の東寄りで縦に細長かったことがわかる。都の東半分は高野川や加茂川が山から運んできた砂や礫が堆積する水の出やすい地形、西半分は水の出ない粘土層であることが地質学的にも裏付けられている。
一方、伏見では砂礫層の地質から豊富な水が湧き出た。1594年(文禄3年)、伏見城の造営とともに水の豊かさを背景に酒造業が興隆しはじめ、その後も宿場町、港町の酒として発展し、1657年(明暦3年)には酒造家83軒、造石量1万5千611石と国内有数の酒どころになった。1906年(明治39年)、伏見酒の製造量は旧京都市内の酒を上回り、旧市内の酒造業者も続々と伏見へ転出し、灘に次ぐ二大酒どころへと発展していった。
町の機能が激しく移り変わるなか、今も変わりなく伏見酒を支え続けているのは豊かな地下水「伏水」なのである。
以上、月桂冠HPより引用
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by aozoracafe123
| 2010-11-05 10:06
| 水
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